社会的、精神的に自立した人とはどんな人だろうか?

こんにちは、ぐっきんです。

皆さんは自立という言葉をどう定義しているでしょうか?
自立と言っても色々な要素があると思います。

自立というのは僕の中で1つのテーマでもあります。
なので今回はそんな『自立』という言葉の意味を僕なりに考えてみたいと思います。

自立とは?

非常に抽象的な内容になってしまいますが、
自立とはそもそも何なのでしょうか?

単に経済力のある人のことを言うのか?
それとも親元を離れた人のことを言うのか?

どちらもある意味では自立しているといえるかもしれませんが、
やはりそれだけではどうもしっくりこないです。

では自立とは何なのか?

まずは辞書で自立という言葉を調べると、
『他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。』と出てきました。

う〜ん、わかるけどどうもしっくりこない。
そして長年考えてきたこの問いに最近僕はようやく自分なりの解釈にたどり着きました。

僕の中で自立とは、
『主体性を発揮して、他者に貢献出来る人』
と定義しました。

ここには社会的、精神的な意味も含まれます。

しかしかなり抽象的で分かりづらいので、
分解して説明していきたいと思います。

主体性とは何か?

まずは主体性について書いてみたいと思います。
ネット辞書によると主体性というのは、
『自分の意志・判断で行動しようとする態度』という意味合いになっているようです。

しかし僕の中で主体性というのは、
『自分の良心に沿って誠実に意思決定し行動出来る態度』
だと定義しています。

あくまで自分の良心に沿ってというのが大きなポイントです。
つまり世の中的には間違っているとされていたとしても、
自分の良心に沿っていればそれは正しいと貫く意志です。

しかしそういった意味で主体性を持つというのは、
生半可なことではありません。

ただ自分勝手に行動すれば良いというものでもありません。
なぜならその判断基準というのもある種の良心から湧き出たものでなくてはならないからです。

それを基準として物事を取捨選択していけば大抵のことはうまくいくはずです。
しかし多くの人はその判断基準を定めること自体がすでに難しいと思うことでしょう。

『良心』という言葉自体がいまいち抽象的な言葉ですからね。
なのでさらに良心という言葉ももっと具体的に定義していきたいと思います。

良心とは?

これも僕の中である定義があります。
それは『自分の得意なことで他者に貢献する心』です。

つまり自立の定義の後半に出てくる
「他者に貢献出来る人」という部分に通じてくるのです。

これには色々な異論もあるでしょう。
「良心って人としての思いやりじゃないの?」という方もいるかもしれません。

でも今の僕にはこの答えがとてもしっくりきています。
なぜなら感情的に貢献することが苦手な人もいるからです。

人には得意不得意の領分があります
これは間違いなく存在するのです。

なのでその中で自分の得意な分野で他者に貢献するというのは、
十分過ぎる良心じゃないでしょうか?

例えば、気分が落ち込んでいる人に対し、
「大丈夫だよ」「心配ないよ」「君の味方だよ」
と声を掛けることで相手の気分を楽にすることに長けている人もいます。

そういうタイプの人は感情的価値で相手を楽にさせてあげるべきだと思います。
でもそれがどうしても苦手な人もいるのです。

しかしそういう人は一方で、
機能的価値として役に立つ情報を提供することで貢献出来たりする可能性があります。

言葉でなぐさめるのは苦手だけど、
落ち込む原因となったことを取り除く手助けは出来たりするかもしれません。

例えば職を失って落ち込んでいる人に対して、
すごくいい仕事を紹介出来るかもしいれません。

つまり他者への貢献の仕方というのは本当に人それぞれなのです。
なのでそれぞれが持っている持ち味を活かして貢献していくのが、
お互いにとっても良いのです。

なので僕はそれを人としての良心と定義しました。

なぜ貢献が必要なのか?

「自分で自分のことを面倒見れていれば、誰にも迷惑かけないしそれだけでもいいんじゃないの?」という意見もあるでしょう。

ではなぜ貢献が必要なのか?

答えを言ってしまえば、それも結局は”自分の為”なのです。

人はいくら自分が成長してもそれだけでは充実しないのです。
かといって自分のことを犠牲にして貢献するだけでも充実しません。

つまり本当に充実したければ成長と貢献を同時に満たさなければならないのです。

人はなぜかそういう仕組になっているのです。
なので是非皆さんなりにどちらも満たせる方法を模索してほしいなと思います。

まとめ

かなり独自の見解になってしまったと思いますが、
僕はそのような人を見ると自立してる人だなーと思います。

しかしそこに行くまでの順序としては、まずは自分の力をつけるのが先です。
もちろん経済的に自立するということも必要でしょう。

そこにさらに自分の得意な分野を伸ばすということも必要です。
自分だけの武器を持つと言い換えても良いでしょう。

それから他者に貢献することを考えるという手順ですね。
僕の場合はかなり長い間自分に自信を持てずにいたし、
人に貢献出来ることなんて何もないやと思っていました。
参考:自分に自信がない人の根本的な原因や4つの特徴とは??

でも僕の場合はそれこそが僕の武器になるということを知りました。
つまり僕は自信の無い人の気持ちというのが痛いほど分かるのです。

そして色々と模索しているうちにネットビジネスという新しい武器にも出会いました。

ネットビジネスではどんなタイプの人でも自分の強みを生かしていける仕事なので、自分に自信が無い人には是非挑戦してもらいたいなと思っています。

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2 件のコメント

  • はじめまして、とても興味深い考察をされていますね。僕自身、自立について研究している者として参考になる一考だと思いました。
    さて、僕の仕事は福祉施設で働くスタッフですのでそっちの視点になりますが、読んで頂ければ幸いです。
    福祉の業界では自立の定義を、人権意識の高まりやノーマライゼーションの思想の普及を背景として、「自己決定に基づいて主体的な生活を営むこと」とされています。実はこの文章のルーツって自由論を引用した物らしいです。ルーツになった文章は
    自己決定に基づいて主体的に生活をする事、その決定に対して責任を負うこと。だったと思います。自己決定は選択出来る自由をさします。社会的な常識として自由に責任が伴なうのは当たり前ですよね。あと、この文章が自立ならば、自立の前提は自由であるといえます。実はぐっきんさんの言う自立って、関係性の自立って言われてて、昔の哲学者が自由論で考察した内容だったりします。たとえば、下半身不随で車椅子生活をしている人がマンションに住んでいたとします。そのマンションで火事があり急いで逃げなければなりません。逃げるルートは3つ、西階段、東階段、エレベーター。当然歩けないその人の選択肢はエレベーターに限定されます。火事でエレベーターが止まっていたらどうなりますか?命が危険にさらされますよね。でもお隣さんが仲良しで屈強な男性なら、おんぶして降りてくれるかもしれません。もしくは避難用の滑り台等があれば健常者が準備をしてくれるかもしれません。このケースで考えられる回避しなければならない状況は逃げる手段をエレベーターに依存してしまうことだと考えられます。つまり、何を言いたいのかというと、社会的自立とは依存できる選択肢を増やす事なんです。健常者は一見依存していない様に思われがちですが実は自立している人ほど自身に足りない能力に対して依存先、選択肢を多く持っているのです。長々と書き連ねてしまいましたが興味があれば読んで下さい。

    • たかさん、丁寧なコメントありがとうございます!

      自立の考察が僕なんかとは比べ物にならないぐらい深くて驚きました。
      「関係性の自立」という言葉があるんですね。

      「依存できる選択肢を増やす」
      これは非常に納得できます。足が10本あったら2本ぐらいなくなったところで倒れることはないですもんね。
      本当にその通りだと思います。

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